章ごとに拾い読みしてきた『覚悟の磨き方 超訳 吉田松陰』
の最終回、(最終章)「死 SPIRIT」に収録されている十一句の中から三選。
169 命の重さ
” 士の命は、山よりも重い。ときには羽根よりも軽い。私が言いたいのは、死は問題じゃないということです。
なんのためにその命を使っているのか
ただそれだけが問題なんです。”(p231)
171 死を想え
” 「自分の命は今日で終わり」そう思ったとたん、
視界から余計なものがきれいさっぱりと消えて、自分がこれからどこに向かうべきか、
目の前に太くて真ったいらな道が、一本伸びているんです。”(p233)
175 祖先を想え
” 今のこの世界を残すために、自分の命を差し出した人たちがいます。
彼らはなんのために命を捧げようと考えたのでしょうか。私たちは考えなければいけません。
今のこの世界は、彼らが思い望んだ未来になっているのでしょうか。
その答えは、私たちの生き方でしめすしかありません。”(p240)
「日本人」としての選択
三つの中に選びませんでしたが、本の中で紹介されている最後の句が、(下記で)
176 辞世の句
” 私の身がここに滅んだとしても、私の日本人としての魂は、ここに置いていくことにします。” (p241)
と、吉田松陰の想いが「日本人」に依拠していることが端的に表されていると思います。
あるいは、編集者の意図と言えるかもしれません。
このところの報道で、それに対する反応から日本人として生を受けた事に誇りを感じているか、負い目を感じているか、
議論されることが多いし、自然と考えさせられる機会も多く、私個人では昨年この時期から年末まで池間哲郎先生に
<< 2015年1月26日投稿:画像は記事にリンク >> 池間哲郎先生に学んだ「思いを力に」する生き様:日本の歴史の真実を学ぶ「日本塾」修了
学校で学ぶことの無かった日本史について学ぶ機会を選択したり、また、橘玲さんの『(日本人)』を手に取っていたり。
改めて今回、本を開き5月から各月、吉田松陰の考えに触れる中で、
自分の人生と、「日本人」であるという事の座標が交わる地点を見出そうとしている作業が続いている事に気付かされ、
「175 祖先を想え」などに、そのメッセージ性を強く感じさせられました。