イスラエルの歴史学者 Yuval Noah Harari:ユヴァル・ノア・ハラリが
” かつてアフリカ大陸の一隅で捕食者を恐れてほぞぼそと暮らしていた取るに足りない動物がこの二一世紀までたどってきた道のりを振り返り、将来を見据える。”(位置 No.4033/訳者あとがき)
という壮大にして「衝撃の書」と称される『サピエンス全史(下)』を読了。
読み終える遥か手前から「凄ぇ本だなぁー」と感じざる得ないインパクトでしたが、
圧巻なのは本書が上梓された目的の一つでもある
” 私たちは以前より幸せになっただろうか?過去五世紀の間に人類が蓄積してきた豊かさに、私たちは新たな満足を見つけたのだろうか? “(位置 No.3191)
という問いに対しての掘り下げ。
驚異的な進化の一方で、創りだせた幸せは?
本書では「幸せ」について、
” 一般に認められている定義によると、幸福とは「主観的厚生」とされる。
この見方によると、幸福とは、たった今感じている快感であれ、自分の人生のあり方に対する長期にわたる満足感であれ、私が心の中で感じるものを意味する。”(位置 No3274.)
或いは
” 興味深い結論の一つは、富が実際に幸福をもたらすことだ。だがそれは、一定の水準までで、そこを超えると富はほとんど意味を持たなくなる。”(位置 No.3293)
と、さまざま定義しており、また現代を
” 自分自身の人生の進路に関してかつてない絶大な決定権を各人が行使するようになるにつれて、深いかかわりを持つことがますまず難しくなっているのを私たちは実感している。
このように、コミュニティと家族が破綻を来し、しだいに孤独感の深まる世界に、私たちは暮らしているのだ。
だが、何にも増して重要な発見は、幸福は客観的な条件、すなわち富や健康、さらにはコミュニティさえも、それほど左右されないということだ。
幸福はむしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係によって決まる。”(位置 No.3332)
と定義し、時代性から「幸せ」について考察が進められていて最も興味深いパートでした(詳細は本書に委ねます)。
人類(ホモ・サピエンス)が辿ってきた歩みにとどまらず、広範に及ぶユヴァル・ノア・ハラリの専門性から、
私たちは何者であるのか、人間の幸せ、更には人類が向かっている先の警鐘に至るまで
さまざま考えさせられる内容が、ユヴァル・ノア・ハラリの独自の見立て/慧眼をもとに、一冊(上下巻)に説得力を伴ってまとめられていています。
我々が向かう先の未来
既述のとおり、エンディングは前向きなものではありませんが、私を含め多くの人たちが言語化出来ていなかったものが
明瞭に綴られており、読後に得られた爽快感はあまり実感できることがない次元で、時間手間はかかるものの多くの方々にとって読むに値する著書であると感じています。
一度で消化出来た内容はごく限定的で、時期を改めての本書の再読に、本書の続編とされる
『ホモ・デウス』の内容が、今からとても楽しみ/興味深いです。